福島孝徳先生のご逝去
21日バンド関係者から先生の訃報を聞いて本当に残念でなりません。
心より追悼の意を表します。
2004年7月15日、運よくクラリネットのトラ(代理)で長崎での学会イベント演奏で福島先生のバンドで初めて参加、先生のドラムとご一緒させていただきました。
福島先生は私のクラリネットプレイをとても気に入っていただき、それから東京オールドボーイズのメンバーとして、ご一緒させていただくようになりはや20年が過ぎました。
ですが、このようなお別れになるとは夢にも思いませんでした。
福島先生は小さい頃からジャズが大好きでニューオリンズジャズを学生時代から興味を示し、東京大学在学中に名門早稲田大学のニューオルリンズジャズクラブに自ら門をたたき入部し
ドラムスを学ばれました。入部2年間でやめて医学を目指されたそうです。
その後脳外科医として渡米をされ、鍵穴式手術という顕微鏡を使った手術患者の負担が少ない最新の手術方式を開発。
世界の脳外科医として脳外科学会で一躍注目され、全世界から手術の依頼がかかりお忙しい日々となりました。
神の手と言われ脳外科医として日本全国、また世界を脳手術のためにエネルギッシュに飛びまわる日々。
お医者さん関係や手術された患者さんと交流の場、また励ましの場として「神の手福島孝徳&東京オールドボーイズ」の演奏会を開催し、バンドメンバーも先生のいらっしゃる場所におよびいただきました。
北は帯広から鹿児島まで数多くの演奏会を開催され東京オールドボーイズの一員として参加させていただきました。
福島先生は参加された皆さんに喜んでもらおうとニューオリンズジャズン限らず、はやりのA○B4○の曲やNHK○ドラでヒットした曲をはじめ、踊れるロックナンバーも取り入れ会場も大盛り上がりでした。
普段はご多忙でほとんど練習されていないようですが、ドラムのスティックを握られると真剣なまなざしで演奏に取り組まれ、最初は不安定なリズムもしばらくすると青春時代に還ったような正確でメロディックなドラミングを刻まれ、びっくりしたことが度々ありました。
海外演奏にも連れってていただきました。
ハワイ、ウエストバージニア、シカゴ、ロスアンジェルス、ウクライナ、チェコ、パリに留まらず、本場ニューオリンズへも行きバーボンストリートを借り切ってパレードしたことは一生の想い出です。
今でも忘れられない出来事がありました。
先生は体に害のあるタバコが大嫌いでイベントやライブ会場では常に禁煙でした。
いつも禁煙の場所にしか行かれません。。
私が急性肺炎にかかり良くなってイベントに向けての練習後喫煙OKの居酒屋しかなくそこに入り食事しました。
その時先生はタバコを吸いはじめたお客さんに、大声で『病気明けの人がいるのでタバコを吸うのは止めなさい。』と大きな声で私を守ってくれました。
長崎での演奏を東京オールドボーイズ初年度とされ、10周年にはイベントを行い記念冊子を発行、素人の私がすべて任され、永遠のジャズと題して作成しました。
20周年もやろうと先生も張り切っていらっしゃいました。記念イベントは六本木ケントス会場を抑え計画してましたがコロナでやむなく中止となりました。
コロナでしばらく連絡が途絶えてましたが昨年、体調が思わしくないと聞いてとても心配してました。
昨年秋に突然「来年また演奏やろう会場探してくれ」と直接お電話をいただき、とてもうれしかったです。
ただそのまま連絡が途絶えてしまい、お忙しいから無理なのかなと思ってました。
3月21日にバンドメンバーのピアノかおりさんから、3月19日お亡くなりになったとメールで突然の訃報を知らされ、驚き茫然として深い悲しみに陥り、先生との思い出が走馬灯のように
次から次へと流れて行き、唯々悲しいお別れとなりました。
恩返しが何もできず、残念でなりません。
今は「やすらかにお眠りください」「ありがとうございました」心からの感謝の言葉のみです。
神の手 Dr.福島孝徳 & 東京オールドボーイズ ジャズバンド(旧名) クラリネット担当 渡辺毅